False Electric Brush

ネットの海にボトルメールを送り続けるサイトです。


2010/02/07

春夏秋冬休むことなく練習に打ち込んできたのに、野球クラブに入部したばかりの人に若い背番号を取られた、と小学生の弟はわんわん泣いた。「分かるよ」と僕は思う。運動会では一生懸命走っても毎年七番の旗の後ろにぽつんと体操座りだったし、水泳記録会では対岸に触れ水から顔を出した時には誰も泳いでなかったし、集団競技では僕は居ても居なくても同じだった。小学校の成績は良かったけれど、所詮それは井の中の蛙だった。「高度経済成長」「バブル」は意味を持たない単語であり、毎年毎年「百年に一度の大不況」「就職氷河期」とブラウン管には映り、「ゆとり世代」だと叩かれる。それが心の原風景にあるのか、僕の性根は劣等感にまみれている。何事も上手くいった試しがなく、それ故に上手くいくことなんて夢にも思わないのだ。僕はずっとこういう性格のまま生きていくんだろうと思う。

2010/02/01

寝る前に目を閉じ、記憶を解放する。まぶたが眼球の網膜を刺激し、スクリーンセイバーのように展開する。それをずっと眺めていると、宇宙空間のような暗闇に、上も下も右も左もないようなところに、沈んでいくような、浮かんでいくような気持ちがする。この国のこの地球のこの銀河に芽生えた僕という人間は、一体全体何者なのだ。銀河の中にぽつんとある地球は、ただ原子の撹拌装置としての働きをし、地球の中にぽつんといる人間は、ただ原子の撹拌装置としての働きをする。この宇宙の原子撹拌装置にしか過ぎない僕たち。ふと怖くなり目を開けるとちゃんと身体の中に僕はある。宇宙を旅した僕が元の身体に戻れる奇跡。奇跡はありふれている。

2010/01/26

人生の最期は、愛する人に囲まれて死を迎えるのかもしれないし、孤独死して異臭放つ肉塊になるのかもしれないし、誰彼に理不尽にも命を奪われるかもしれないし、僕が僕自身を殺すかもしれない。

2010/01/11

地元の小学校の人間は、中学校の友達の言葉を借りれば「人間が安定していなかった」と表現できる。8割が就職し、1割が家紋を背負った暴力団や極道の妻、そして僕を含む残りの人間が学生をしていた。仲が良かった友達は、学校の校門前で煙草を吸い、終いにはポイ捨てというザマである。 それに比べて、中学校の同窓会は良かった。「人間が安定していた」。それにしても15歳からの5年間は驚くほどに外見の変化が激しいものだと感じた。 僕を含む背が低かった男子は、8割の確率で背が高かった人を抜かし、好きだった可愛い女の子は綺麗になり、話す時に視線を合わせづらかった。でも内面は皆変わっていなかった。僕も同じなんだろう。一年生の初日から積極的に僕に話しかけてくれた男子は、同じテンションで僕に接してくれ、悪友は5年前と外面も内面も何にも変わっておらず、それを皆からツッコまれ、腹部と太ももに強烈な拳と蹴りをくれる女子のノリは何だか懐かしく、親しくてエッチな女子は「で、ヤったの?」と悪戯な笑顔を浮かべながら耳元で囁いた。 家庭科教師は僕を渾名で呼んで「あんなにちっちゃかったのにね」と微笑み、恩師の「頑張れよ」という言葉と握った手の温かさに勇気づけられ、僕はまだ生きていけると思った。 帰り道、暗闇に落ちた町並みを同じ部活の友達と歩いた。 彼はからからと自転車を押しながら、僕はビンゴの景品の人形を片手にぶら下げながら。 まるで天体の運行みたいだと思う。孤独な宇宙空間で僕たちは偶然にも接近し、そして乖離する。わざわざ連絡を取ろうとは思わないけれど、出来るならもう一度会いたいそんな距離を保ちながら。 「じゃあ」と一言を交わし合い、バス停で僕たちは分かれた。 今まで生きていてよかったと素直に思える素敵な夜だった。

2010/01/05

もはや壊滅的で破滅的な記憶力と言わざるを得ないだろう。タイムカプセル開封と同窓会に臨む前に、卒業アルバムで小学校と中学校のクラスメイトの名前を記憶する必要があるのだから。さすがに仲が良かった友達の姓は思い出せるが、愛称は微妙、名となると絶望的である。 そんな具合だから、僕から見てその他大勢に区分される不幸な人は、姓も名も脳内データベースからサルベージ不能である。 それにしても当日はどんな顔をしていいか、炭酸飲料の爽快さほどさっぱり分からない。数年後の自分が何を考えているのか微塵も分からないように(数年前ですらそうだ)、彼らも何を考えているか粉灰も分からない。小学校は卒業してから8年、中学校は5年である。この僕もかなり変わったし、変わらざるを得なかった。 考えるほどに参加したくなくなるけれど、これまでの人生の総集編を殺して解して並べて揃えて晒しに行きますか。

2009/12/30

待つことに慣れている僕でさえ呆れた。 彼は自身が決めた約束の時間に現れず、僕の携帯電話に「多少遅れる」と連絡を入れてきた。教室の片隅に積まれた漫画誌で暇を潰し、時計の長針が一周回った頃、決定打とばかりに「後一時間はかかる」という一文と謝罪文が添えられたメールが届く。呆れた。もはや待つことに疲弊した僕は「有り得ん。もう帰るわ」と返信し、帰路に付く。 こういう行為を受け、彼を嫌わないほうが難しいものだ(僕から嫌われるために仕組んだものだとしたら上出来だ)。彼と今後も友達でいるべきか否かを天秤にかける。頻繁に待ち合わせに遅れ、無駄に軽い乱暴を加える常習犯である彼。後三ヶ月程度しか顔を合わせないんだし、現状維持でいいかな、と結論を出す。 失ったものは、三時間と往復の電車賃520円と彼への信用。得たものは、人生は初期条件が違う条件分岐ゲームだという発想。

2009/12/19

煙草を数本吸ってみた。何事もものは試しである。ニコチンの成分が少ない銘柄を選んでいるからかもしれないが、依存性はドクターペッパーと比較するに及ばずである。ドクペは数本飲んだだけで、禁断症状がでるほどだった。まだ箱に煙草がたくさん残っているが、これらは一週間に一本のペースで気長に消費していくつもりである。依存したらそれまでだ。別に、人生の目標は健康になるためじゃないからね。

2009/12/09

先日、二十歳になった。魔女の乳首のように凍えきった六畳の部屋で、打鍵している。絶え間なく過去へと押し流された歳月を振り返ると、「僕は今まで何をしてきたんだろう」と泣きそうになる。それでも、この僕という人生で唯一誇れることがあるとするならば、自殺せずに生き抜いてきたことだけだ。それ以外は、皆無だ。ホント、不細工な人生だ。でも、最悪じゃない。恐ろしく平和な日常の中で、なんとなく生きててよかったなと思う瞬間があるから。例えば、今日は歩道の真ん中になまこが落ちていて、少し笑えた。そういう下らなくて、馬鹿みたいなものが僕をきっと活かしている。確かに、僕という人間に価値なんてないかもしれない。そんなことを年がら年中、僕は頭の片隅で問い続けている。人生の明確な夢や目標があるわけでもない。お金は多いに越したことはないけれど、あまり執着していない。権力にはまるで興味も関心もない。友人も知人も、気の合う少ない人数でも十分だ。この僕が家庭を築くことなんて、想像さえできない。生きていても、死んでいても、どちらだっていい。どちらだって変わらないだろう。けれど、どうしようもない僕は、どうしようもない世界でまだまだ生き続けよう。意味もなく、理由もなく。誰のためでもなく、自分のためでもなく。

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